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写真集“DISTORTION2”


 

3,000 Yen

(3,300 Yen 税込)
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distortion2
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滋賀県甲賀市の「やまなみ工房」に通所する、知的障害や精神疾患を持つ人たちのポートレート写真集。

著 者 = 笠谷圭見(文) / ロブ・ワルバース(写真)
発行者 = 山下完和
デザイン = 諏訪睦
スタイリング = 久家宏栄
ヘアメイク = 武田亜紗子
翻 訳 = ウォング礼子

290×420mm 56ページ モノクロ(一部カラー)

DISTORTION

1940年代にフランスの美術家ジャン・デュビュッフェが提唱したArt Brut(アール・ブリュット)という概念がある。“生のままの芸術”という意味の造語で、芸術的教養に毒されていない者によって生命の根源から衝動のままつくり出された創作物のことを指す。既成の価値観や社会的通念に全く影響を受けていない人たちによる表現の動機は極めて純粋であると唱えたデュビュッフェは、いわゆる知識人たちによる既存の芸術活動を強烈に批判し、伝統や権威主義に対する絶対的なアンチテーゼとしてアール・ブリュットを提唱した。後にイギリスの著述家ロジャー・カーディナルによってOutsider Art(アウトサイダー・アート)と訳され英語圏にも広まったが、アール・ブリュットの原義との相違により二つの呼称が混同されることに異論を唱える美術関係者は少なくない。欧米ではそれらが高額で売買され、専門誌が流通するなどマーケットの成熟のみならず、精神医学や哲学など様々な分野で今も研究が進められている。

一方、日本では主に知的障害者による創作物がその概念に該当するという見解により「アール・ブリュット=障害者のアート」と認知される傾向が強く、障害者福祉を目的としたアール・ブリュットの啓蒙や普及活動が目立つ。しかしアール・ブリュットとはあくまで芸術的側面からの考察として「伝統や流行に支配されないがゆえの表現の純粋性」に価値を見出した、いわば成果物の属性に基づく概念であり、決して「どのような人による創作行為か」ということにフォーカスされたものではない。すなわちアール・ブリュットは当事者の福祉とは一切関係のない概念である。

また、障害者の創作物を「アール・ブリュット」にカテゴライズすることについての賛否や「アウトサイダー・アート」という呼称をめぐる論争は絶えない。様々な立場からの視点や文脈によってそれらが全く違う意味を成し、正否や善悪さえもが逆転してしまうからだろう。しかしながら、この分野では作者が自らの創作物をアール・ブリュットだと主張もしなければ、自身をアウトサイダーなどと認識しない。それらの論争は常に当事者以外の人たちの間で繰り広げられている。美術関係者によるカテゴライズ規準や福祉関係者らが提言する倫理観などが争点となることが多く、さらに様々な商業的・政治的戦略が複雑に絡み合っているのが実情だ。

そのような状況下において当事者の才能が正当に評価されるのだろうか。人が優れた芸術作品に遭遇し感動する瞬間、そこには作者に対する偏見や差別、あるいは慈悲などという意識が介入する余地もなければ、どれだけ崇高な学者や専門家の理論も一切の影響力を持たないはずだ。彼らの創作物が美術界のセオリーや福祉界のしがらみに縛られず、ましてや政治権力によってコントロールされることなく、多くの人たちに自由に鑑賞してもらえる場づくりが重要ではないだろうか。

知的障害者による創作物の中には、既成概念に囚われない自由で革新的な表現も少なくない。しかしながら彼らがそれを独力で世に発表することは不可能に近い。芸術的教養に毒されていない人たちの創作物に魅せられたデュビュッフェという芸術的教養者による戦略的なプロモーションによってアール・ブリュットが成立したように、現代社会において様々な分野のスペシャリストが積極的に知的障害者の創作に関わり、協働(コラボレーション)することによって彼らの活躍の場は広がり、新しい価値の創出にも繋がるだろう。

知的障害者を取り巻くネガティブな問題は決して彼らの特異性に起因するものではなく、周縁がつくりだした社会の歪みにほかならない。その歪みが誰にどのような影響を及ぼし何を失うのか、彼らはそのことに気づかせてくれる。私の目的はアール・ブリュットの研究や障害者をめぐる倫理の追究ではなく、彼らの創作物の魅力を多くの人に伝えることであり、同時に私たちの生活の中でなおざりにされがちな障害者という存在にあらためて目を向け、彼らとの共生を目指すべく多角的な戦略を企て、それを実践することだ。それは決して障害者支援などというおこがましいものではなく、私たちに潜在する歪みと対峙し、自己を見つめ直すという行為にすぎない。

笠谷圭見(RISSI INC.)